(看護士の岩田とみさんの経験。岩田さんは、被災者救援のために市役所で働こうと9月2日夜、看護服のままで板橋の職場から歩き始めた)
そしてやつとのことで燃えて居る上野の松坂屋の前まで来ると、そこらに居た人々が『そら朝鮮の女が逃げて来た』と叫びながらいきなり私を捕へて火の中へ投げ込まうとしました。私は自分が灰になるのはいとひませんが、その前に市の為に少しでも尽したいと思つていたところですから『朝鮮人ではありません看護婦ですよ』と叫びながら無我夢中で抜出しました。そしてこれは危ないと思ひましたので、保護してもらひたいために本郷警察署へ駆け出しました。すると警察の少し前の所でまた自警団員に捕まつてしまひました。『こやつもやったのだらう』と罵りながら散々こづきまはして私を警察署へつれてゆきました。
目を充血させた巡査が手に手に木剣を持ちながらどかどかと私を囲みました。誰かが私を殴りつけました。『まつて下さい皆さんに見せたいものがあります』私は一生懸命になつて叫びました。すると署長が『待て』と叫んで私を見つめました。私はかくしてから産婆と看護婦の免許状を出しました。賞状も出して見せました。すると皆手を返した様に優しくなりました。
(高崎雅雄『大正震災哀話』光明社、1923年11月)
解説◎
「大正震災哀話」は、この時期に多く出された震災実録物の一冊。様々なエピソードを集めたもの。