今度の震災当時、最も痛恨事とすべきは鮮人に対する虐遇行為であった。
その誤解の出所は不明としても、不逞漢外の鮮人を殺傷したのは、一般国民に種族根性の失せない人道上の大問題である。
要は官僚が朝鮮統治政策を誤っている余弊であるにしても、我国民にも少し落ちついた人道思想があったならば、かほどまでには到らなかったであろう。
根も葉もない鮮人襲来の脅しに愕いて、自警団が執りし対策は実に極端であった。誰何して答えない者を鮮人と認め、へんな姓名であると鮮人と認め、姓名は普通でも地方訛りがあると鮮人と認め、訛りがなくても骨相が変っていると鮮人と認め、骨相は普通でも髪が長いから鮮人だろうと責め、はなはだしいのは手にビール瓶か箱をもっていると毒薬か爆弾を携帯する朝鮮人だろうとして糾問精査するなど、一時は全く気狂沙汰であった。
北海道から来た人の話によると、東京から同地へ逃げた避難者は警察署の証明を貰いそれを背に張って歩かねば危険であったという。
注)読みやすさを考慮して改行を追加しています。
(宮武外骨『震災画報』「日鮮不融和の結果」ちくま学芸文庫、2013年)
解説◎宮武外骨は1867年生まれのジャーナリスト。『滑稽新聞』『スコブル』など、反骨とユーモアにあふれた独特の雑誌を生み出し続け、今に至るも表現にかかわる人には多大な影響を与え続けている。『震災画報』は震災の3週間後から翌年1月まで、6冊が発行された。