朝鮮人騒ぎには怖い思いをしました。井戸に毒を入れたとか、襲ってくるとかそんな話が伝わって、みんなで警戒しました。よそ者を見つけては近所の若者が朝鮮人かどうか調べていました。君が代を歌えと言われて、東北から来た人は訛ってうまく歌えず、朝鮮人と間違えられたとも聞きました。
私も見ました。つかまって後手に針金で結わかれて隅田川に投げ込まれたのを。でも、どうかすると足だけでもうまく泳げます。しかし、逃げようとするところを、伝馬船に乗っている若者が鳶口で頭をたたく。血しぶきが立ち、そのうち沈んで行きました。
震災騒ぎが収まってから、日本堤警察署が犯人探しを始めて、朝鮮人を殺した者を留置所に入れました。あわてて近所のおばさんが来て、
『うちの子はみんなを守るためにやったんだから、警察には言わないでおくれ』
と言っていました。オールバックだった髪を丸坊主にした人もいました。変装か謹慎か分かりませんけれど。押入れに1か月も隠れて行方をくらました人もいたと聞きます。
(村松君子『思い出は万華鏡のように』朝日新聞出版サービス、2004年)
解説◎