読売新聞1923年11月3日|よみうり婦人欄
汲んでも汲み尽せぬ 井戸に入れる毒 常識で判断し得る事
橋爪恵 | (下)提灯の反射を燐光と早合点面白かつたのは、私の町の自警余談である。私は或る人に頼まれて、どこそこの井戸水は素敵に光つてゐるが、あれは確に毒薬が入つてゐるから見てくれといふのであつた。馬鹿々々しいとは思つたが兎に角言はれるままに或井戸へ行つた。井戸水が光つてゐるのならこいつは恐らく黄燐か猫いらずがあるんだなと思つた。私はその水を試験管にとつて検査したが黄燐でもなければ猫いらずでも無かつた。その人は自分の提灯の反射を見て水が光つたと思つたらしい。
も一つは妙齢の婦人がポンプ井戸を汲んでゐたところを自警の男が怪しいとにらんで女流主義者が井戸に毒薬を投げ込んだと伝へられたのであつた。また私は近所の人に引出されてしまつた。よく見るとなるほどポンプ井戸の柄には白いものが附いてゐた。匂いをかいだら、ぷうんと良い薫りがした。そこで私は白粉(おしろい)だなと思つて、水を汲んで自警団に引つ張られた泣きはらした婦人に「この際白粉は廃めたらどうです」といつてやつた。それは果たして白粉なのだつた。白粉で化粧して井戸水を汲みに来た女も女だが毒薬をぶち込んだ女流主義者なんて思ひつめた自警の人達(その人達は常に教養があるといつてゐた)にもあきれざるを得ない。
あのどさくさ紛れに、かてて加へて薬品の払底した頃、どうして毒劇薬を買占めることが出来よう。況して石炭酸とか硫酸重クローム酸昇水などを汲めども尽きぬ井戸水に投げ込んだからとて効くかどうか常識によつて判断されることである。厳めしいダイナマイトの投入はどうだか一向知らないが井戸に毒薬を入れたらしい犯人としてこれを直に主義者と見てとつた上に善良な人々を絞殺(しめころ)したり斬り殺したのは何たる文化の逆行、何たる反道徳、何たる非立憲の行為、何たる無政府主義、何たる血に飢ゑたもの共であるのか。サンフランシスコやロンドンの災害には断じてこの種の非科学的妄動は一も無かつた筈(はず)だ。
(山田昭次編『朝鮮人虐殺関連新聞報道史料』緑蔭書房2004年に収録)
解説◎
橋爪恵は、橋爪檳榔子の名前でも知られる医療評論家。略歴
要するに、井戸水の量を考えれば、そこで希釈されてもなお、人を死に致らせるには大量の毒薬が必要になる、もちろん、わずかな量でも人を死に致らせる毒薬もあるにはあるが、高価で希少なそうした劇薬を、朝鮮人や社会主義者が買い占めることができるかどうか、常識で考えてみるべきだ、というのが橋爪の主張であろう。