余震もどうやら治まり、皆がひと安心した頃、突如として朝鮮人さわぎが起こった。朝鮮人が暴動を起こし、日本人を皆殺しに来るとのことである(今思えば流言飛語であった)。
町の若衆たちで自警団がつくられ、竹やりや日本刀をたずさえて武装し、路行く人の警戒に当たっていた。(略)
「朝鮮人が平塚橋までやって来た」とのうわさで、またまた島津公爵の竹林へ逃げ込んでしまった。
地震よりもおそろしく、殺される思いがして、ふるえながら一夜を明かしたが何事もなかった。
家の裏長屋に植木職の森下さんという人が住んでいたが、従業員に真面目な朝鮮の人を使っていた。
しかし、そんなことがあってから約一ヵ月ぐらい一歩も外へ出ず、家の中に閉じこもっていたことを思い出す。
(品川区『大地震に生きる 関東大震災体験記集』1978年
注)読みやすさを考慮して句点ごとに改行しています。
注)読みやすさを考慮して句点ごとに改行しています。
解説◎
品川区大崎(現在)に住んでいた浜谷好男さんの証言。当時、12歳。