2014年11月18日火曜日

東京ろうあ学校の生徒は半数以上生死が判らぬ│読売新聞1923年10月5日



読売新聞1923年10月5日 
【記事画像は山田昭次編『朝鮮人虐殺関連新聞報道史料』緑蔭書房から】

オシやツンボが沢山/自警団に殺傷/
東京ろうあ学校の生徒は半数以上生死が判らぬ

自警団の暴行検挙は引続き行はれているが、大震災の当初、夜景団員は殺気立つて居たせいか誰何されて返事の出来ない多数のろうあ者が随分傷害され、半死半生の憂き目にあつた。
現に牛込矢来町一〇二の家井義雄(二二五五)は、大正九年三月小石川指ヶ谷の東京ろうあ学校の卒業生であるが、先月六日浅草からの帰途夜警団に殺されたと実父から同校に申し出てきた。
此の外、同校在学の生徒で生死不明の者が全生徒数の約半数に及んで居ると云ふが、其他一般の唖者の中にも半殺しにされた者があるのは、甚だ気の毒なことである。


解説◎
自警団や軍によって多くの朝鮮人が殺されたが、このとき、朝鮮人に間違えられて多くの日本人や中国人も殺されている。殺された日本人の中には、方言を話す東北や沖縄の人々、そして上の記事にあるように、聴覚障害者などもいた。なお、「おし」「つんぼ」は障害者に対する差別的な表現だが、歴史的な記録としてそのまま掲載した。