2018年6月7日木曜日

山根真治郎「誤報とその責任」

山根真治郎「誤報とその責任」1938年、日本新聞協会附属新聞学院)p.119

風説をそのまま掲載するのは初期時代の新聞で、風説は寧ろ大切なソースであった。
悪質な風説は事変とか争乱とか天災地変のやうな時に多く発生する。
大正12年の関東大震災の時は人心徨惑して風説百出し、さしも冷静を誇る新聞記者も遂に常軌を逸した誤報を重ねて悔を千歳に遺した事は今なほ記憶に新たなる処である。
曰く在留朝鮮人大挙武器を揮って市内に迫る、曰く毒物を井戸に投入した、曰く徳富蘇峰圧死す、曰く激浪関東一帯を呑む…数えるだにも苦悩を覚える。

注)読みやすさを考慮して改行を追加しています。



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解説◎
山根真治郎は1884年(明治17年)生まれ。明治末期から新聞記者として時事新報、国民新聞、東京新聞などいくつもの新聞社で活躍し、「新聞の鬼」と呼ばれた。後進を育てるため、「新聞学院」も創設している。