報知新聞1923年10月22日
【記事画像は山田昭次編『朝鮮人虐殺関連新聞報道史料』緑蔭書房から】
鮮人襲来を巡査が触れ回る警視庁でも最初は迷はされ/後で虚説だと諭告す
震災後、関東一帯の混乱の巷と化したのは鮮人の妄動が誇大に伝へられたからであるが、それが伝へられて来たのは神奈川方面からである事は本社既報の如くである。当時警視庁及び各警察がその流説に狼狽して大騒ぎを演じた事もまた動かし難い事実である。現に二日夜から三日午後にかけ浅草、巣鴨、淀橋方面ではオートバイに乗った警官や在郷軍人等が「鮮人が襲来するから女子供は早く安全地帯に避難し壮者は…」と駆け廻り、人心を不安の極に達せしめ、一層騒ぎを大ならしめた。
警視庁でも二日夜には鮮人の暴動を全然事実であると信じたものの如く府下某署ではわざわざ神奈川県下に偵察隊を発し、その虚説である事を本庁に情報すると、一幹部は色をなして報告の杜撰(ずさん)である事を叱咤した位であつた。ところが翌朝、刑事部員を各方面に派して事実調査の上、いよいよ虚説である事が判明し、あはてて流言蜚語である事を諭告として一般に発表したさうである。
実に緩慢であつたのは神奈川県警察部で、流説の真虚を調査しやうともせず、また一般罹災民に対して諭告も出さず、何等人心の安定を計らうとしなかつたが、六日夕刻に至り、在郷軍人の手から鮮人襲来説は全然無根の事である事を発表したので、ようやく落ちついたのださうだ。右について湯浅(警視)総監は「既に調査はしてゐるが、今までの報告にはさうした事実は認め得ない。しかし世間のいふ非難が事実とすれば徹底的に検挙する」と語っている。
注)読みやすさを考慮して句点、改行を加えています。
流言記事の氾濫のために9月7日から禁止されてきた朝鮮人問題の報道が10月20日に解禁されると、自警団の検挙の記事とともに、流言拡大に対する警察をはじめとする行政の責任を問う報道が出てくる。上の記事はそうしたものの一つ。