九月一日の地震に、千歳村は幸に大した損害はありませんでした。(中略)
欧羅巴(ヨーロッパ)に火と血を降らせたのは人間わざでしたが、日本の受けた鞭(むち)は大地震です。日本は人間の手で打たれず、自然の手でたたかれました。「誰か父の懲らしめざる子あらんや」と云う筆法から云えば、災禍の受け様にも日本は天の愛子であります。
ところでこの愛子の若いことがまた夥(おびただ)しい。強そうな事を言うて居て、まさかの時は腰がぬけます。真闇(まっくら)に逆上します。鮮人騒ぎは如何でした? 私共の村でもやはり騒ぎました。けたたましく警鐘が鳴り、「来たぞゥ」と壮丁の呼ぶ声も胸を轟(とどろ)かします。隣字(となりあざ)の烏山では到頭労働に行く途中の鮮人を三名殺してしまいました。済まぬ事羞(はず)かしい事です。
(徳富蘆花『みみずのたはこと(下)』岩波文庫)
解説◎
徳富蘆花は明治から大正にかけて活躍した小説家[1868~1927年]。1923年12月30日に書いたもの。蘆花は当時、現在の芦花公園(東京都世田谷区粕谷)のあたりに住んでいた。千歳村、烏山とは、現在の千歳烏山のこと。
ヨーロッパに火と血を~とは、5年前に終わった第一次世界大戦を指している。日本はこの戦争でとくに被害も受けなかったが、その代わりに1923年9月に関東大震災に襲われたという話である。そして蘆花が見聞した、烏山で朝鮮人3人が殺された事件とは、下記のリンク先に記述されている「烏山事件」のこと。殺された人数については、実際には1名と思われるが、3人が亡くなったという報道もあり、はっきりしたことは分からない。
参考リンク◎
ブログ「9月、東京の路上で」