記憶を刻む
1923年関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺関連の資料と証言
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「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか
工藤美代子/加藤康男「虐殺否定本」を検証する
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2020年5月23日土曜日
「そよ風」の「慰霊祭」における発言の一部抜粋
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右翼団体「そよ風」は2017年9月より毎年、横網町公園内の石原町犠牲者慰霊碑の前で、「真実の関東大震災 石原町犠牲者慰霊祭」と題する集会を行っている。しかし、この集会は石原町の震災犠牲者の追悼を目的とするものではない。実際、この「慰霊祭」において、石原町の犠牲者についての言及は皆...
2020年5月22日金曜日
朝鮮人犠牲者追悼碑の三つの意義
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加藤直樹(ノンフィクション作家) 朝鮮人犠牲者追悼碑の存在には、三つの大きな意義があります。 一つ目は、それが虐殺の記憶を継承し、死者の前で歴史の教訓を確認する場であるということです。東京は、あの虐殺事件の中心でした。朝鮮総督府警務局の調査でも約300人が東京府内で殺されたとして...
2018年6月7日木曜日
山根真治郎「誤報とその責任」
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山根真治郎「誤報とその責任」 ( 1938 年、 日本新聞協会附属新聞学院) p.119 風説をそのまま掲載するのは初期時代の新聞で、風説は寧ろ大切なソースであった。 悪質な風説は事変とか争乱とか天災地変のやうな時に多く発生する。 大正12年の関東大震災の時は人心徨惑...
2017年4月20日木曜日
虐殺を扱った内閣府「関東大震災報告」“削除”問題について
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(『九月、東京の路上で』Facebookより転載) 加藤直樹 (記事投稿の数日後「報告書」は復活しています) たぶん皆さんが思っている以上に、この問題は深刻な意味をもっている。 4月19日の朝日新聞朝刊に「『朝鮮人虐殺』に苦情、削除/災害教訓の報告書/内...
2016年1月12日火曜日
警視庁による中国人虐殺事件の報告
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警視庁広瀬久忠外事課長直話( 1923 年 9 月 6 日) 目下東京地方にある支那人は約 4500 名にしてうち 2000 名は労働者なるところ、 9 月 3 日大島町 7 丁目において鮮人放火嫌疑に関連して支那人および朝鮮人 300 名ないし 400 名 3 回にわたり...
2016年1月7日木曜日
「イモを食わないのは、朝鮮人だ」
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「日本国民の敵は、不逞鮮人だ!」とどなり歩く声があちこちで恐ろしげに響いていた。本所、深川あたりから罹災してくる人たちの声だったようです。この罹災民たちは、知らない人からもらった水や食物は、ぜったい口にしないといううわさでした。 (9月)4日になって私たちは田端から母の故郷の...
2015年12月22日火曜日
海岸に打ち上げられた虐殺犠牲者の骨
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虐殺鮮人数百名の白骨、子安海岸に漂着 やまと新聞 1924 年 2 月 10 日付夕刊 やまと新聞 1924 年 2 月 10 日付夕刊(国会図書館所蔵) クリックで拡大します。 虐殺鮮人数百名の白骨、子安海岸に漂着 昨日の暴風に...
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