(『九月、東京の路上で』Facebookより転載)
加藤直樹
(記事投稿の数日後「報告書」は復活しています)
たぶん皆さんが思っている以上に、この問題は深刻な意味をもっている。
4月19日の朝日新聞朝刊に「『朝鮮人虐殺』に苦情、削除/災害教訓の報告書/内閣府HP」という記事が掲載された。しかしその日の午後、内閣府は削除の予定などない、今月中に際掲載する―と時事通信の取材に対して表明した。
だがこれをもって朝日の記事を誤報と決めつけることはできないだろう。というのは、この前日、ある人が内閣府中央防災会議に問い合わせた際、担当者が「リニューアルに際して、(専門調査会)報告書をすべて削除する」と公言した事実があるからだ。この数か月の森友騒動で、私たちは、官僚が「ない」と言えばそれだけでそれが「ない」と考えるほどナイーブではなくなったはずである。
現在も内閣府HPからは専門調査会報告がすべて削除されたままであり、内閣府が本当に「すべて再掲載する」のかどうか、予断を許さない。
内閣府中央防災会議の「災害の継承に関する専門調査会」は、江戸時代以降の災害の教訓を示す目的で設置された。災害ごとに、優れた地震学者、歴史学者、社会学者たちがいくつもの報告書をまとめている。
朝鮮人虐殺について言及している「1923関東大震災報告書第2編」(以下、「第2編」)は、2008年3月にまとめられたその1冊だ。いま、“削除中” なのは、安政の大地震まで含む報告書のすべてである。朝日の報道を読む限りでは、「第2編」を削除したいがためにその他の報告書もすべて削除しようとしたように思われる。
もちろん、仮にこのまま内閣府HPから消えても、文書の存在が消えるわけではない。国会図書館まで足を運べば、閲覧は可能である。その内容が否定されるわけでもない。だが、ネット上で「第2編」が読めなくなることは、虐殺の史実を守る上で深刻な意味をもつ。それはどういうことか。
2009年、工藤美代子名義で『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)という本が出された。2014年には加藤康男(工藤の夫)名義で『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった』(WAC出版)という題名で再刊された。
以来、これらに触発されて、ネット上には現在、「朝鮮人虐殺否定論」が溢れかえっている。図書館や書店でまともな歴史の本を読み、調べれば、否定論など全く成立の余地がないのだが、検証の手段の少ないネット上では数の力でまともな議論を圧倒する勢いだ。
内閣府HPに行けば誰でも閲覧可能な「第2編」の存在は、否定論に対するネット上の最大最後の防波堤である。
政府機関である内閣府の下で、優れた学者たちが(自民党政権下で)まとめたこの報告は、虐殺をめぐるこれまでの学問的な蓄積を手堅く穏当にまとめた信用できる内容であり、朝鮮人虐殺についての貴重な入門書にもなっている。軍の虐殺関与も含め、大事な論点は網羅されている。
15年1月のNHK「クローズアップ現代」でも、16年9月のETVの朝鮮人虐殺特集でも、この「第2編」を前面に押し立てて番組を作成している。「第2編」がなければ、今のNHKであのような番組をつくることは不可能だっただろう。
虐殺否定論が跋扈するネット上で、その存在は「消防署」のようなものとも言える。
私も「民族差別への抗議行動・知らせ隊」の仲間や先輩方と共に「『朝鮮人虐殺はなかった』はなぜデタラメか」という虐殺否定論批判のサイトをつくった。だがそこで提示する資料や記述にも、この「第2編」に由来するものが少なくない。
つまり私たちのサイトは「消防団」のようなものであり、「消防署」なしでは十分な働きはできない。
もしこのまま「第2編」という消防署がネット上から消え去ってしまえば、ネット上では「朝鮮人虐殺はなかった」という、トリックと大声を武器とする“放火魔たち”が席巻するようになる。3年後には「虐殺? あったのかなかったのか分からないな」というのが“常識的立場”ということになるだろう。
そしてネット上でそうした歴史歪曲が勝利すれば、政治家の間にもそれは浸透し、あるいは人気取りのために積極的にそれに迎合する政治家も増える。そうなれば政治の力によって、「虐殺はなかった」は、ネットの“常識” から世間の“常識” となる。そうなれば学者たちは沈黙する。教科書からも“削除”される。あっと言う間だろう。「第2編」がネットで閲覧できるか否かは、歴史歪曲の拡大を防ぐ上で致命的に重要なのだ。
もう一つの深刻さは、内閣府HPにかつて掲示されていた文書を政府自らが削除するという行為自体が帯びる「メッセージ」である。
そのとき私たちが、「この文書は国会図書館で読める、今も内閣府の文書として存在している」と主張しようが、否定論者たちは、「削除されたということは信用できない内容だったということを意味する」と言うだろう。「第2編」は、人知れず存在しても、信用されない文書になる。無効化される。この点でも、「第2編」の「削除」は致命的な効果をもつ。
このまま「削除」されるのか、内閣府が19日の午後になって公言し始めたように「再掲載」されるのか。その選択がとても大きな意味をもつことを理解していただけただろうか。
朝日の取材に対して防災会議の担当者は「苦情が多かったから削除する」という趣旨のことを語ったと記事にはある。真相は分からない。これが事実だった場合、果たしてそれは単なるネトウヨの抗議電話を意味するのだろうか。
「削除しろ」という政治家の介入があった可能性を考えるべきだろう。そしてその政治家の介入の背後に、負の歴史の「削除」を推し進める右派団体の執拗なロビー活動が存在する可能性もある。
だとすれば私たちは、「単なるリニューアルです。再掲載しますから」という官僚の言葉にほっとしている場合ではない。歴史修正主義者たちは今この瞬間もロビー活動を続けているかもしれないからだ。その結果、形式上は「再掲載」だが実際にはアクセスできないまま―といった結果を見るかもしれないのだ。
かつてまともな政治家や官僚たちが学者たちに「災害の教訓をまとめてください」と依頼し、優れた学者たちがそれに応えて教訓を書いた。関東大震災時の虐殺から学者たちがつかんだ教訓は次の通りである。
「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく。その上で、流言の発生、そして自然災害とテロの混同が現在も生じ得る事態であることを認識する必要がある」(『第2編』「おわりに」)。
「第2編」の閲覧停止は、この教訓を私たちが未来に向けて守れないことを意味する。地震国であり、多民族が暮らす日本で、それは恐ろしい選択だ。
引き続き、「きちんと・ネット上で全て読めるように・再掲載するべきだ」という多くの人の声を上げる必要がある。引き続き多くの人が、多くの手段を通じて、内閣府に声を届けてほしいと思う。
参考資料
朝日新聞記事
時事通信記事
国会図書館のサイト保存プロジェクトで読める“削除中”の「
第2編」